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第63回

障害のある人たちのディーセント・ワークとは? ~池田太郎先生の実践を通して考える~

 

第62回の「松上利男の一言」で、障害のある人のディーセント・ワークについてのお話をしました。
 今回は、私の考えるディーセント・ワークの概念を通して、「信楽学園」の創始者である池田太郎先生の実践に見る障害のある人のディーセント・ワークについて考えて見たいと思います。

1. 障害のある人のディーセント・ワークの概念とは?

 私が考える「障害のある人のディーセント・ワークの概念」は、第62回でお話ししたように、障害のある人を「権利の主体者・働く主体者」としてその概念の基本に位置付けることです。そして、以下の概念があると考えています。
(1)地域社会での暮らしが提供されること
 「人間らしい生活を継続的に営める社会や環境」を実現するためには、ノーマルな社会環境の中での暮らしや労働が提供される必要があります。ですから、できる限り社会との繋がりの中での労働が提供されることが重要です。
 自分自身の働きがどのように社会に繋がり貢献しているのか、自分自身の社会的な役割が自覚できること、社会に役立っているという実感が得られること、また、労働で得られた正当な対価としての賃金で、普通の暮らしが実現できることが重要となります。
 この「地域社会での暮らしが提供されること」の基本理念として、以前お話ししたベンクト・ニイリエの提唱した「8つの原則」が位置づけられ、その実現を目指すことが私たちの重要な支援となると思っています。
(ベンクト・ニイリエのノーマライゼーション8原則)
 ①一日のノーマルなリズム
 ②一週間のノーマルなリズム
 ③一年のノーマルなリズム
 ④ライフサイクルにおけるノーマルな発達経験
 ⑤ノーマルな個人の尊厳と自己決定
 ⑥男性、女性どちらもいる世界に住むこと
 ⑦その社会におけるノーマルな経済水準とそれを得る権利
 ⑧その地域におけるノーマルな環境形態と水準
(2) 社会から認められる役割があること
 労働を通じた社会的役割とともに、地域社会における地域住民としての役割を担うことやボランティア・ワークをすること、家族や所属する集団での役割があることが重要であると思っています。
(3)「働けない」ことを「障害の問題」にしないこと
 働けないのは障害の問題ではありません。働く環境によって問題が解決されます。例えば、同じ仕事内容であっても福祉事業所内での仕事と発注先の企業内で働く場合とでは、頂く賃金が異なる場合があります。
 私が30年前に知的障害のある人たちの通所授産施設で働いている時に、神社の厄除けの笹にお札やお飾りをつける仕事をしたことがあります。
 その時に宮司さんから「お祭りのときに笹を授ける学生アルバイトの巫女さんがいないので困っている」とのお話を聞き、私の提案で、女子利用者3人が巫女さんのアルバイトをしたことがあります。
 アルバイトから帰ってくるなり、笑顔で次のような話を私にしました。
 「本当に良かったわ。今まで仕事をして、こんなにみんなから『ありがとう。ありがとう』と言われたことはなかったわ。お昼は、二段重ねの美味しいお弁当やし、お金もたくさんもらって。本当に良かったわ」
 同じ障害のある人であっても、働く環境で労働の価値、評価が変わるものです。
 また、京都市が「空き缶再資源条例」を策定して、条例に基づく「再資源化施設」の建設を検討していた時期に、私が働いていた法人から「再資源化施設を知的障害のある人の通所授産施設として運用する」ことの提案を行いました。
 当時、清掃局と民生局とが部局の壁を乗り越えて、障害のある人の仕事を作り出しました。
 私はその施設の開設準備を中心的に担いましたが、「信楽学園」で実践された「生産工場方式」という重い障害のある人たちも含めた空き缶のリサイクル工程ラインを計画し、稼働しました。
 このリサイクル作業に従事する障害のある人たち全員が月額5万円、年2回のボーナス(1回10万円)の工賃(賃金)を得ることができました。
 この実践のように、私たち支援者が主体的に行政や社会に障害のある人の仕事づくりの企画・提案をすることも重要な役割としてあります。
 この仕事を通して、市民生活に直接つながる役割を障害のある人が担うことの実現ができました。また、労働の主体者であると同時に、空き缶のリサイクルという仕事を通して、市民にリサイクルの大切さを伝えるという教育する役割も果たすことができました。
 このような実践を通して、支援者である私たちが工賃(賃金)の低さを障害の問題にしている限り、工賃倍増は望めないことを学びました。
(4)合理的配慮がなされ、「強み」が発揮できる環境が提供されること
 日本において、国際障害者権利条約が批准され、障害者差別解消法が成立しました。
 この中で「合理的配慮」という概念が障害のある人たちの支援の基本として位置づけられています。
 合理的配慮とは「障害特性に応じた対応と環境の提供」ですが、当然のこととして障害のある人のディーセント・ワークの重要な概念の一つであると思っています。
 「働けないことを障害の問題にしない」と言う支援の視点は、「障害」に支援の視点を合せるよりも障害のある人を取り巻く「環境」に視点を合せて、それぞれの障害特性に配慮した働きやすい環境を提供することにあります。
 そして、障害特性の強みを活かす支援が、今後、重要な就労支援の視点となります。
 この「合理的配慮」の概念と「強みを活かした支援」という視点は、今後の障害のある人の就労支援にとって重要な視点であると考えています。また、この視点は、工賃倍増の実践にも大きな影響を与えると思っています。
(5)ニーズに応じた様々な働きが実現できること
 福祉事業所の中で与えられた仕事をするという「福祉事業所完結型の仕事」から、一人ひとりの障害のある人のニーズベースでの働きが実現されなければならないと思っています。
 働くカタチも様々あることが必要です。「会社で一人で働くカタチ」「障害のある人が支援者の支援を受け、会社の中でグループで働くカタチ」「在宅で働くカタチ」など様々あって良いと思います。
 働く時間も「半日だけ働くカタチ」や「週の内2日や3日だけ働くカタチ」など、ニーズベースで様々な働くカタチがあって良いと思います。
(6)働きに応じた正当な賃金が得られること
 障害のある人が就労継続支援B型事業所で、低工賃(賃金)で働いている現状は、障害のある人たちの責任ではありません。支援する私たちの責任です。
 ですから、私たち支援者は障害のある人たちのニーズベースで、尚且つそれぞれの強みを活かせる仕事を創造し、合理的配慮がなされた環境の中で、役割を持ち働き続けられる支援を提供しなければなりません。
 そのような支援がなされることにより、結果として、「働きに応じた正当な賃金が得られる」ことの実現が可能となると思います。
(7)チャレンジできる、学習できる環境が提供されていること
 障害があっても当然のこととして、本人が望む教育・訓練の機会が提供されなければなりません。
 仕事を通して「スキルアップに挑戦できること」「成長する機会が保障されること」「より責任のある役割を担うことができるチャンスがあること」などは、障害のある人が権利の主体者・働く主体者であるという視点から考えて、当然の権利としてあります。

2.池田太郎先生の実践からディーセント・ワークを考える

 上述した私が考える障害のある人のディーセント・ワークの実践を行った日本における先駆者は、1952年に「信楽学園」を創設した池田太郎先生であると思っています。
 池田太郎先生は、知的障害のある子どもたちの福祉理念として「この子らを世の光に」を掲げて「近江学園」を創設した糸賀一雄先生とともに、近江学園の運営と子どもたちの支援に携わられました。
 この「この子らを世の光に」と言う理念は、私が考える障害のある人のディーセント・ワークの基本概念である「権利の主体者」として子どもたちを位置づけたものです。
 「信楽学園」は「近江学園」の年長児のための労働を中心に据えた教育の場として、滋賀県が民間の陶器会社を買収して開設しました。
 知的障害がある人たちの就労支援をする上で、本物の働く環境を提供するという池田太郎先生の先見性は、「素晴らしい!」の一言に尽きます。
 そして、「信楽学園」では、「汽車どびん」というお茶を入れる陶製の容器を製造し、多くの旅行者が汽車の中で使用しました。
 私が20代のころに「信楽青年寮」の寮長であった池田太郎先生を訪ねた時、夜中まで先生自身の実践の話をして下さったことがあります。
 翌朝、池田太郎先生自ら運転される軽トラックに乗せて頂いて、「信楽学園」を案内して下さいました。
 その時に、「生産工場方式」という池田太郎先生の労働教育の基本となる概念を直接教えて頂きました。
 「松上先生、生産工場方式と言うのは粘土を掘り出すことから始まり、それを土練機で粘土にして、『汽車どびん』を作って、最後に荷造りした信楽学園と書かれた箱をトラックに積み込んで、園生みんなで見送るんや。障害の重い子もみんな生産工程に入って『汽車どびん』を最初の工程から製品を送り出すまで、みんなで作り出すんや」と話をして下さったことを今でも思い出します。
 この池田太郎先生の「生産工場方式」の実践は、私の考える障害のある人のディーセント・ワークの概念、「社会から認められる役割があること」「『働けない』ことを『障害の問題』にしないこと」「合理的配慮がなされ、『強み』が発揮できる環境が提供されていること」「ニーズに応じた様々な働きが実現できること」「チャレンジできる、学習できる環境が提供されていること」と合致します。
 池田太郎先生は、「『この子らを世の光に』という理念、すなわち『障害のある人が権利の主体者』であるという考えを基本として、社会が認める価値のある製品『汽車どびん』の生産労働を通して、障害のある人を『働く主体者』へと発展させた」と、私は考えています。
 また、私は、「地域社会での暮らしが提供されること」も障害のある人のディーセント・ワークの概念の一つと考えましたが、池田先生はグループホームの先駆けである「民間下宿」という障害のある人たちの居住支援の仕組みを施設職員や地元の人たちの協力で地域に作り出しました。
 池田太郎先生は、「障害のある人たちの幸せは社会に溶け込むことにある」との考えに基づいて、この「民間下宿」の実践とともに、障害のある人の地域企業への就労支援にも尽力されました。
 私は、今回、池田太郎先生の理念や実践を通して、私自身の考える障害のある人のディーセント・ワークの概念の整理ができたように思っています。
 そして、改めて多くの先駆者の実践に学ぶことの大切さに気付かされました。
 同時に、池田太郎先生の実践を知る一人として、その実践の価値を次の世代に伝えることが私の重要な責任であるとの気付きを得る機会となった今回の「障害のある人のディーセント・ワークの調査・研究」に感謝しています。

掲載日:2014年03月10日