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第57回

支援者としての価値と倫理を考える ~障害者虐待防止法施行を目前にして~

 

 「障害者虐待防止法」が来週の月曜日、10月1日から施行されます。

 この法律の正式名称は、「障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律」ですが、名称が示すように障害者虐待の防止とともに、養護者の支援についても障害者虐待防止に関わる重要な目的として位置づけられました。
 養護者による障害のある子どもや家族に対する虐待の大きな要因の一つとして、障害者本人、主な養護者である家族に対する支援サービスの不足があることから、障害者本人、家族に対する必要とされる支援体制の整備と構築が重要であること、それに関わる都道府県・市町村の責任が明確に条文に位置付けられたことは意義のあることだと思います。
 また、市町村・都道府県に対する虐待発見者による「通報義務」も条文化されました。
 この「通報義務」について、「悪事を訴える」というある意味でネガティブな視点から捉えるのではなく、虐待の発見・通報により、行政の虐待事案に対する取り組みとその解決、それに伴う必要となる支援サービスの提供、支援体制整備という行政責任に基づいた支援を促し、行政との連携を通して、地域における障害者虐待防止体制構築の推進に繋げていくというポジティブな視点が重要であると考えています。
 厚生労働省からは障害者虐待防止のガイドライン・マニュアル「市町村・都道府県における障害者の虐待防止と対応」が今年3月に市町村・都道府県に示されました。
 また、今月末までには、事業者向けのガイドライン・マニュアル「障害者福祉施設・事業所における障害者虐待の防止と対応の手引き」が示される予定です。
 障害者虐待防止については、虐待が起こる原因・要因の把握・分析と虐待防止対策の確立、虐待が起きてしまった場合の対応等に関するマニュアル整備とその活用が重要視されています。
 私は、虐待防止に対するマニュアルの整備と活用についての必要性について理解をしていますが、しかし、最も重要な視点は、対人援助専門職である私たち支援者自身の価値・倫理のあり方であると思っています。
 支援員から身体的虐待を受ける利用者の多くが行動面で様々な課題のある利用者であることから、虐待防止の観点から支援員の専門性の向上が求められています。
 具体的には、障害特性の理解と行動改善に向けた支援を進めるためのアセスメントと個別支援計画の作成、コミュニケーションの支援、意思決定支援、環境調整等、支援技術の習得と向上が求められています。
 しかし、支援技術を支える基本は、支援者としての価値と倫理であると思います。虐待防止の最も重要なことは、日常的な利用者支援における支援者の利用者に対する不適切な対応、すなわち人権上の問題を感じ取る感性であると思います。
 支援技術や知識を学ぶことは簡単です。しかし、支援者としての価値や倫理観をどのようにして獲得していくのか、学びによって獲得できるのかどうか、私自身、その答えを現在、持ち得ていませんが、今回の「松上利男の一言」で、そのことについて、考えてみたいと思います。
 対人援助専門職としての価値と倫理について、社会福祉士会の倫理綱領に具体的に示されているので、参考までに「価値と原則」について示してみたいと思います。

 

価値と原則
1.(人間の尊厳)
社会福祉士は、すべての人間を、出身、人種、性別、年齢、身体的精神的状況、宗教的文化的背景、社会的地位、経済状況等の違いにかかわらず、かけがえのない存在として尊 厳する。
2.(社会正義)
差別、貧困、抑圧、排除、暴力、環境破壊などの無い、自由、平等、共生に基づく社会正義の実現を目指す。
3.(貢献)
社会福祉士は、人間の尊厳の尊重と社会正義の実現に貢献する。
4.(誠実)
社会福祉士は、本倫理綱領に対して常に誠実である。
5.(専門的力量)
社会福祉士は、専門的力量を発揮し、その専門性を高める。

 

 社会福祉士の倫理綱領では、「価値と原則」、「倫理基準」「行動規範」が示されてい ますので、興味のある方は情報を得てください。
 話を戻しますが、私自身、この支援者としての倫理と価値を学んでいるプロセスにあります。
 おそらく私の人生が終わるまで学び続ける課題であると思います。
 私自身の人生を振り返って、どのような体験や学びを通して支援者としての価値と倫理 が形成されてきたかを考えたいと思います。
 その一つは、自らが体験した人権侵害に関わる出来事にあると思います。
 例えば、私が小学校の5年生か6年生の頃だったと思います。
 清掃時間に床の雑巾がけをしていたのですが、その時に私の頭を足で蹴った同級生がいました。
 担任の先生がその行為を見つけて、私の頭を蹴った同級生に対する罰として、先生は、その同級生を床に四つ這いにさせて、抵抗もできない同級生の頭を私に蹴るように命じました。
 その時、私は本当に大変悲しい思いをしました。
 私がいやな思いをした同じ行為を行うように命じた先生に対する怒りと不信で心が張り裂ける思いでした。
 結果として、私は先生の命令に従わなかったのですが、およそ50年前の出来事を今で も写真を見るように覚えています。
 また最も大きな学びは、利用者からの学びです。皆さんに語り尽くすことができない程の学びの機会を利用者から与えて頂きました。
 現在の私の育ちの多くは、利用者からの学びを通してであります。
 例えば、私が福祉施設で働き始めて1年目の時、作業中によく居眠りをするNさんがいました。
 私は、居眠りをしているNさんに、「Nさん、居眠りせんと仕事しいや」と言って、Nさんを起こしました。
 その時、私に向かってNさんが、「僕、薬(精神安定剤)飲んでるねん。あんたは薬飲んでないから、僕の苦しさ、どんなに眠たいか分かれへんやろ!」と抗議しました。 支援者としては、Nさんの投薬状況を把握して、日中に眠ってる状況、また家庭におけ る睡眠状況などを把握して、主治医と相談する等の対応をすべきであったと思いますが、 その時は支援者として未熟なためNさんにつらい思いをさせてしまいました。
 しかし、そのようなことは支援者としての薬に対する知識と支援技術の問題ですが、本当に大切なことは、支援者としての支援技術の問題よりも、何故、「Nさん、いつも寝ていてしんどそうやね。どうしたんや。何かできることあるかな。」というNさんの立場に立った話しかけや対応ができなかったことにあります。その点で支援者としては失格です。
 Nさんは苦情を訴えることができますが、コミュニケーションが困難な利用者の場合は、支援者が絶えず利用者の立場から考える視点と感性を持たないと、無自覚の中で不適切な対応により、利用者の心を傷つけている可能性があります。
 二つ目に学習による支援者としての価値や倫理に対する気付きをえる方法があります。
 私たち支援者は、私たちの行動によって様々な影響を利用者に与えています。
 そのことを自覚的に捉えかえす方法に「自己覚知」のトレーニングプログラムがあります。
 「自己覚知」トレーニングでは、ある支援場面を想定して、参加者である支援者が利用者や家族、支援者等を演じて、グループワークによってその時の気持ち、感じたことに気 付きを得ることで、その学びを通して、より良い利用者との援助関係を築いていくという トレーニングプログラムです。
 私は、この「自己覚知」のトレーニングによく参加していました。
 ある「自己覚知」トレーニングで、私は自身が支援している緘黙(施設でも家庭でも全くしゃべらない)の利用者を演じました。
 その時気付いた体験は支援者としての私にとって、大変貴重なものでした。
 利用者を演じている時、支援者の思いに少しでも合わそうと努力している利用者としての私がいました。
 「そうなんだ。利用者も支援関係の中で、支援者の思いに少しでも応えようと努力して、大変なエネルギーを使っているんだ。支援者だけが一方的にエネルギーを使っているんじゃないんだ」という気付きです。
 私自身のこのような学びの体験とともに、支援者間の利用者支援に対する忌憚のない闊 達な議論や利用者の家族の方々からの苦情、ご批判などから自分自身の支援者としての価 値と倫理について、多くの気づきの機会を与えられ、育ってきたように思います。
 障害者虐待防止法の施行を目の前にして、もう一度支援者としての支援知識や技術を支える基本となる支援者としての価値と倫理を考え、支援者としての学びのあり方を考え直 す良い機会としたいと思っています。
 本当に大切なことは、虐待防止マニュアルが必要でなくなる支援現場の創造であると言えます。
 そのことは、私たち支援者としての価値と倫理に基づいた利用者との支援関係・人間関係を基本とした専門的支援サービス提供の実現であり、それは、私たち支援者の価値と倫理を基本とした対人援助専門職としての育ちにあるという私の思いを皆様にお伝えして、目前に迫っている障害者虐待防止法の施行を迎えたいと思います。

 
掲載日:2012年09月28日