ケアホーム・グループホームの名称に思う
私ども法人のグループホーム開設のきっかけは、私どもが運営する「生活支援センターあんだんて」(地域生活支援事業)や「ジョブサイトひむろ」(知的障害者通所授産施設/当時)を利用されていた4名の方々の「地域で自立した暮らしがしたい」との思いが出発点となっています。
そして、高槻市富田町にある民間アパートの2室を借りて、4名の方の地域での自立した暮らしが始まりました。
グループホームを開設するに当たって、ホームの名称について、支援に関係する職員で話し合いました。またグループホームを利用される人たちにもどのような名称が良いのか、候補名をいくつか考えていただいていたと記憶しています。
ただ正直なところ、それは気が乗らない作業でした。グループホームは地域での一人ひとりの暮らしの場、そして普通の暮らしの支援というグループホームの本来的な考え方からして、一人ひとりの表札を玄関に掛けるというのが普通ではないか、と思っていたからです。グループホームの住人たち自身が、自分たちの住まいの場に好きな名称を考えることについては、あえて異論を唱えませんが、支援者が名称を考えることには違和感があったのです。
たとえ支援者が、「グループホームは障害のある一人ひとりの人たちの地域での自立した暮らしの場」という認識に立っていたとしても、名称をつけることは、やはり一つの障害者施設というとらわれ方に陥ってしまいそうに思えたからです。
私どもの法人でも50人規模の入所施設を運営しており、施設が問題であるとは思ってはいませんが、特に住まいの場としてある入所施設は、その住まい方、利用者の人員などから、どうしても個の暮らしへの支援や創造の実現というところに困難性を抱えていると日々痛感しています。そういった課題を乗り越えようと、障害のある方々それぞれの「地域での」「自立した」暮らしの創造を目指したものがグループホームではないのかと思うのです。だとすると、グループホームは集団としての暮らしの場ではなく、個々の暮らしをベースとした「個々人の暮らしの集まり」のはずです。
ですので、グループホームに名前をつけてしまうと、どうしても「集団としての暮らしの場」という考えに基づいた支援に繋がってしまいそうに思えたのです。個の暮らし、個の支援を基本とすれば、やはり一人ひとりの表札を玄関に掛けるのが自然ではないかと思えました。
そのようなことから、グループホームにはできれば名称を付けたくなかったのですが、行政的な申請手続き上、やはり名称が必要だとのことで、仕方なく最もシンプルに考えて、グループホーム所在地の町名をそのままグループホームの名称とすることにしました。
信楽青年寮の故池田太郎先生は、寮生たちの地域での暮らしと地域社会のあり方について、寮生たちが「信楽の町に消えてゆく」との表現をされていたと記憶しています。
「信楽の町に消えてゆく」という思いは、私自身の福祉実践の原点となる言葉の一つとしてあります。
グループホームの名称に対するこだわりは、池田先生がおっしゃるところの「信楽の町に消えてゆく」との思い、すなわち「障害のある人たちの暮らし」から、「人としての一人ひとりの暮らし」、「地域に溶け込んだ暮らし」を実現したいとの思いの上にありました。その思いは今も同じです。
皆様はいかがお考えでしょうか?
私の些細なこだわりについての皆様方からのご意見をお待ちしています。