夢をもつことの意味
私たち社会福祉法人北摂杉の子会の設立と生活施設「萩の杜」開設の契機は知的な障害のある子どもたちを抱える親御さんたち、とりわけお母さんたちの夢と情熱によるものでした。そのきっかけとなったのは、当時私が施設長をしていた知的障害を伴う自閉症の人たちの支援に特化した生活施設「京北やまぐにの郷」へのお母さんたちの見学にありました。見学の後、お母さんたちの「こんな施設が私たちの住む地域にあり、子どもたちが支援を受けることができたらいいね」という夢から、「私たち自身の手で施設を作ろう!」という夢の実現へと夢は繋がっていきました。しばらくして私のもとへ一人のお母さんから電話がありました。「私たち施設を作りたいと思っています。先生に協力していただけないでしょうか」というのがお母さんの第一声でした。私は、「協力とはどのようなことですか?」とお尋ねすると、お母さんは即座に、「私たちの作る施設の施設長になっていただきたいのです」と答えられました。お母さんたちの夢とこの劇的な出会いが生活施設「萩の杜」の創設という大事業へと進むことになります。
実は私の夢がお母さんたちの夢と重なるものがありました。私が知的障害のある人たちの通所授産施設「京都市横大路学園」を退職し、「京北やまぐにの郷」の施設長として赴任するときに、「横大路学園」の職員に私の夢を語りました。「私の夢は私が住んでいる高槻という街が障害のある人たちに対してやさしい住みよい街であること、そのために働きたいと思っているねん。『やまぐにの郷』を軌道に乗せてから、5年後には高槻で働いていると思うわ」と。
常に私は自分の夢を私の親しい人たちに語って来ました。語ることで夢の実現に向けての自分自身のエネルギーにしてきたのだと思います。また夢と「斯くありたい」という思いを親しい人たちと共有することが夢の実現の大きな原動力となってきたのも事実です。
お母さんたちの「子どもたちの生まれ育った地域に、子どもたちのための素敵な生活の場の実現」という夢と、私の「私の暮らしている街が障害のある人たちにとってやさしい住みよい街であってほしい」という夢が重なり、法人の設立、「萩の杜」の創設へと動き出したと思います。
お母さんたちの夢は、たちまちお父さんたちを突き動かし、「萩の杜」創設の実働部隊となる「父親部会」の創設へと繋がって行くことになります。
「萩の杜」創設の過程で大きな課題の一つは、この活動に主体的に関わっているご家族の子供さんの「萩の杜」利用の可能性でした。大阪府は行政の立場として、「いくら施設建設のための自己資金を親が寄付をしても、それはあくまでも寄付であり、子どもさんの入所とは関係がない。施設は真に支援の必要な人たちのためにある」との見解を親御さんたちに示していました。行政の立場として、多くの税金を投入して、社会的役割を持つ社会福祉施設としての機能を考えれば、当然のことでした。
私はこの最大のハードルを飛び越えることができるかどうかが、今後の法人・施設経営、利用者支援のあり方に大きく関わってくると考えていました。
そして、親御さんたちの結論が出ました。「自分たちの子どもたちが利用できることを願うのは当然のことである。しかし、たとえ利用ができなくても、私たちの住む地域に素晴らしい法人・施設ができれば、いつかは私たちの子どもが必要なサービスを受けることができる」という結論と活動の継続でした。
私は、この偉大な結論と親御さんたちの意思と信念が、私たち法人の理念である「地域に生きる」に凝縮され、現在多くの知的障害、自閉症・発達障害のある人たちへの様々な支援サービスの創造へと活動が引き継がれているのだと確信しています。
この苦難の時期に、あるお母さんがおっしゃった一言が今でも心の中に残っています。「先生、もし施設がでけへんかっても、今までみんなとこんなええ夢もてたことが幸せやわ。夢がもてたことだけでもありがたいと思っています」と私に語ってくださいました。
「社会福祉法人北摂杉の子会」の設立と「萩の杜」の創設は、このようにお母さんたちの夢に始まり、その実現の過程で、様々な共感が生まれ、様々な人たちとの協働により実現しました。
お母さんたちが「夢をもち」、「夢を語る」ことがなければ、現在の私たちの法人と様々な支援サービスの創造はなかったということを思うにつれ、私たちの人生にとって、「夢をもつこと」、「夢を語ること」の大切さを改めて噛み締めるとともに、私も夢をもち、夢を語り続けて行きたいと思います。そして私たち法人にとって、このお母さんたちの「夢」を貴重な財産として受け継ぎ、発展させていくことが私たちに課せられた大きな使命であると確信しています。