強度行動障害を伴う利用者支援を通して学んだこと ~人として生きる意味~
私が「京北やまぐにの郷」施設長として赴任したのは、89年9月でした。「やまぐにの郷」は知的障害を伴う自閉症の人たちの支援に特化した入所更生施設です。89年6月に開所したのですが、利用者の示す行動障害の対応などの心労のため、開所後まもなくして前任施設長がお辞めになり、急きょ私へのバトンタッチとなりました。
私が赴任した時は、「エネルギーの発散」と称し、日中のほとんどの活動は散歩やランニングなどが主で、一人ひとりの利用者にとって意味のある日中活動はありませんでした。
利用者の多くは、在宅時の激しい自傷(顔面を叩く)により視力障害を伴う利用者、激しい咬みつき行為のある利用者、弄便行為で身体中便まみれになる利用者、毎日衣類を破る利用者、異食行為のある利用者などの行動障害を伴っていました。特に10数名の利用者は激しい行動障害を伴っていました。赴任後直ちに利用者それぞれのニーズに基づき、織り物作業、木工作業、紙器加工作業、椎茸栽培、アメリカンミニチュアホース牧場での実習などの活動を導入しました。その結果、日中活動場面での行動面での「問題」は少なくなり、一人ひとりの利用者が見通しを持ち、それぞれにとって意味のある生活になりました。
しかし生活場面での「問題」行動の改善は進みませんでした。当時弘済学園園長であった飯田雅子先生がキリン財団の助成を受けて、「行動障害児・者支援」についての先行研究をなされていました。その研究報告に基づいて、新しい支援システムの導入に踏み込みました。即ち生活場面を10人単位のユニットにすること、ユニット担当職員(生活支援担当)を固定すること、生活担当職員と日中活動担当職員に職員の職務を分けること、生活場面での役割(食事の盛り付けや配膳、掃除、衣類整理など)を利用者が持つことなどの新しい取り組みです。もちろんその支援システムを基本とした利用者への個別的支援も強化しました。取り組みの1年後には、激しい行動障害を示すいわゆる「強度行動障害」を伴う利用者はいなくなりました。92年4月から2年間、私は「京都府強度行動障害者処遇調査研究委員会」の座長をしていましたが、この実践結果について当時委員であり現在京都ライフサポート協会理事長である樋口さんと、「やっぱり普通の暮らしがええいうことや」との結論を確認し合ったのを今でも覚えています。
私はこの実践の中で、50人という暮らしではなく小グループでの普通の暮らしがあること、そして常に自分のことを理解してくれる「理解者」がいること、他者から期待される社会的な「役割」があること、自分自身の生活についての「見通し」がもてることが行動障害を伴う利用者への支援にとどまらず、私たち人間が人として生きていく上で欠くことのできない事柄であることを学びました。
全く自分自身のことを理解してくれる「理解者」がいない、社会的に期待される「役割」が全くない、将来やこれからの生活についての「見通し」がもてないという環境の中では人は死ぬしかないのではと思います。
利用者支援の基本は、「理解者」、「役割」と「見通し」がある支援と普通の暮らしという環境を基本として、利用者個々のニーズに応じた支援やトリートメントの提供がなされることが重要であると思います。この考え方に基づいて、生活施設「萩の杜」では開所以来ユニット・ケアと職住分離を柱とした支援を続けています。また樋口さんが運営されている生活施設「横手通り43番地『庵』」で、6人単位の完全分棟式のユニットでの暮らしと職住分離の支援という素晴らしい実践をされています。このような実践が評価され、全国的に広がっていく働きかけを今後していきたいと思っています。
「障害者自立支援法」が施行され、今その見直し論議が盛んにおこなわれていますが、そんな状況であるからこそ利用者支援にとって何が最も大切なことで基本的なことなのか、その理念と支援を明確にした上での見直し論議を進める必要性を感じています。