究極のOJT
前回は信楽青年寮の故池田太郎先生との思い出についてお話しました。今回は京都の白川学園副園長で後にひなどり学園園長の故近藤孝一先生との思い出についてお話をしたいと思います。
私が20代の頃、当時私は知的障害者通所授産施設「京都市のぞみ学園」で指導員として働いていました。その頃毎年7月に、京都市主催の「夏季鍛錬会」が開催されていました。京都市内及び府下の知的障害児・者施設の利用者が舞鶴小橋に集合し、2泊3日のスケジュールで海水浴を楽しむというプログラムでした。それぞれの参加施設から実行委員を1名派遣して、「夏季鍛錬会」の計画内容の検討や現地の下見、当日のプログラム運営などの任務に当たっていました。実行委員のほとんどが若い職員が担っていました。
私が始めて実行委員として現地下見に参加した時のことです。宿泊先の民宿との打ち合わせの後、実行委員全員が海水浴予定の浜辺に集合しました。浜辺を眺めている若い職員たちの横で、近藤先生は木陰で「ふんどし」に着替え、何も言わずに海へ入って行かれました。突然のことでもあり、職員はただ呆然とその光景を眺めていました。近藤先生は語るように穏やかな声で、「毎年同じ海へ来てるけど、海の底は変わることがあるからな。急に深くなってるところもあるしな。」と独り言のように話をされながら、黙々と海の中を歩き、海底の様子を確認されていました。私は心の中で、「しまった。失敗した。」と叫びました。他の職員も目を伏せて、その場で立ちすくんでいました。おそらく私と同じ思いでいたのでしょう。近藤先生の行動から、私も含め他の若い職員が下見の意味、そして何よりも障害のある利用者の命をお預かりしているという福祉施設職員としての最も大切な職責を学びました。また酒好きの近藤先生は、若い職員たちの飲み会によくふらっとお越しになり、利用者支援のあり方について語ってくださっていました。そんな何気ない語りの中から若い職員は多くのことを学んでいたと思います。
その下見での出来事から30年たった今でも鮮明にその光景が蘇り、対人援助専門職としての職責を再確認させられます。
今私は、私ども法人におけるOJT、Off/JTのあり方について考え続けていますが、そのことを考えるたびに近藤先生の下見での出来事を思い出し、「近藤先生のこの行いこそが究極のOJTである」と再確認する今日この頃です。