自閉症・発達障害のある方を支援する福祉施設を大阪・高槻で運営

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第68回

ご本人中心の支援

 

 今回は、今後の福祉の在り方、特に利用者中心の支援について、私の経験も踏まえながらお伝えしようと思います。

 私が知的障害者福祉施設で働き始めたのは、約50年前です。その当時、障がいのある人の福祉サービス利用については、行政がどの福祉サービスや福祉事業所を利用するかについて、基本的に行政側が決定する措置制度という仕組みでした。ですから今のように、障害のある人が福祉サービス、福祉事業所を選んで、福祉事業者と対等の立場で利用契約を結ぶ利用契約制度ではありませんでした。措置制度は、障害のある人の意思に基づくものではなく、行政による福祉サービス・福祉事業所の決定が行われる「行政処分」を基本とした制度でした。

 私は働き始めた時から、利用者中心の支援、障がいのある人が自己決定していくということを大事に思っていましたので、措置制度には反対をしてきました。

当時はその様な考えを持つことが、周囲には過激であると捉えられていたようです。

 

 私は、38歳の時に知的障害者入所更生施設の施設長になりましたが、そのような考え方を基本としていたこともあり、当時の施設長の多くが60歳以上の方々でしたので、施設長会議の場などでは、風当たりが厳しかった様に記憶しています。

 

 少し話が遡りますが、私は30歳の時に主任指導員として、知的障害者通所授産施設(現在の就労継続支援B型事業)「京都市みぶ学園」の開設準備をして、事業所の立ち上げに携わりました。

当時、京都府手つなぐ育成会会長の川村さんにバッタリお会いした時、突然川村さんから、「私は、アンタのこと嫌いや」と言われたこともあります。30歳の私からすれば、育成会の会長さんは、雲の上の存在でしたから、自分の事を知っていただいていることを嬉しく思いましたが、私の利用者支援や障害者福祉制度についての考え方が、当時としては、かなり過激だったのでしょうね。

 その後、38歳の時に知的障害者入所更生施設(現在の障害者支援施設)「京北やまぐにの郷」の施設長になりましたが、それからは育成会会長さんとは、親しくお付き合いをさせていただく様になり、私に色んな相談を投げかけてくださいました。

一緒にお酒飲んだりしながら、「松上さん、最近、施設長同士イガイガしているね。どうしたもんかな」という様な相談をしてくださる様になり、「やっと認められるようになってきたな」と感じたものです。

 

 その後、2003年4月に措置制度から利用契約制度に変わり、利用者主体・利用者中心の支援、障がいのある人が権利の主体者であるという風に変わってきました。

私が目指していた障がいのある当事者主体の福祉サービス利用契約制度へと転換しました。

しかし、制度は変わりましたが、「本当にそういう風に変わっているのかな?」と思うこともあります。

障がいのある人への支援の現状を見た時に、利用契約制度の理念に基づき、支援の在り方も変えていく必要があるのではないかと思っています。

本当に利用者本人のニーズを汲んだ支援計画に基づいた支援ができているのかっていうと、まだまだ程遠いのではないでしょうか。

 今後、私たち対人援助専門職として、意思決定支援の実践を更に深め、本人中心の支援を積み上げていくことが重要ではないかと思っています。

 

 

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掲載日:2022年08月25日